どうも、とらマスクです。
年末年始、
同窓会などをやられた方も多いんじゃないでしょうか。
僕も中学、高校の同級生たち、
そして当時教わった先生たちと集まり語らいました。
僕自身「教育」という分野は
非常に興味のある分野ですので、
現役の教師たちと直接お話ができるのは
非常に良い機会でした。
本物の教育を志すもの。
教育という言葉だけを振りかざすだけのもの。
その違いも話せばすぐにわかりました。
まあその話はまた別の機会にするとして
今日は「我慢」についての話です。
その席での会話。
我慢は必要ない。自分らしく生きる可能性を奪うだけだ。
と主張する僕に対し
「そんな訳はない。我慢こそが大切だ。」
と、ひとりの先生から指摘を受けました。
そのときはその場の流れもあり、
それ以上深くお話することができなかったのですが、
我慢は必要か、必要ではないか。
ということに関して、
もう少し深く考え、観察してみたところ、
必要な我慢と必要でない我慢の2種類があり、
ほとんどの場合は必要のない我慢である
というように感じました。
【必要な我慢】
まず、必要な我慢とはどのようなものなのか。
これは、「自己認識を強めるための我慢」です。
自分を中心においた上での、主体的な我慢ですね。
神田昌典先生の「非常識な成功法則」という本を
読んだことはあるでしょうか?


このピンク文字の本です。
「お金と自由をもたらす8つの習慣」
というサブタイトルなのですが、
この第1の習慣に「やりたくないことを見つける」
ということが書かれています。
これは文字通り、
やりたいことを明確にしたいなら、
やりたくないことを明確にしろ。
ということなのですが、
これが本当に理にかなっている。
サラリーマンの感覚だとつかみにくいかもしれませんが、
経営者・トップの人間になると
自分の決めたことはなんでもできるのです。
“実現可能かどうか”ということは抜きにして、
自分の追いたい可能性を全て追うことができるし、
自分や会社のエネルギーを好きな方向に使うことができます。
そこで、自分のやりたくないことを知らないと
問題が起こるのです。
自分のやりたくないことを決めていなければ、
無限の可能性に忙殺され、あっちこっちに手を出し、
一貫性を失い自分を見失ってしまう。
という事態に陥ります。
んなわけ無いだろ。
と思うかもしれませんが、
かなり多いですこういう経営者。
僕は美術学部出身なのですが、
デッサンというのがどういう技術かというと、
あれは影を描く技術なのです。
対象をより明確に鮮明に浮かび上がらせるために、
影を描き込んでいく作業なのです。
強い光を描くには、
その光を支えられるだけの深さと濃さを持った
影を描かなくてはならないのです。
この光を描くための影が「我慢」だとするなら、
それはもちろん自分というものを知り、
光をあてるためには必要な物でしょう。
成功する経営者は光の強さと同時に
その影もまた深いものである場合が多いですよね。
どちらかと言うとこの「必要な我慢」というのは、
「経験」というものに近いと思います。
自分をもっと深く知るために
あえてやりたくないことをやってみる、
経験してみるというのは、
これは面白いし意味のある試みだと思います。
【必要のない我慢】
対して、必要のない我慢とはどのようなものでしょう。
それは、「現状維持のための我慢」「安定を守るための我慢」です。
自分の外の世界を基準とした、客体的な我慢です。
これは何も生み出しません。
その我慢を乗り越えて
成長したような気分になることもあるでしょうが
それはただの環境への適応です。
鈍感になる、無感覚になるという表現が近いと思います。
自己成長にはつながりません。
「適応」とは、環境があってそれに合わせた変化をすること、
「成長」とは、それ自身のあるべきところへ変化していくことです。
多くの場合は自分の当たり前、
周りの環境と言うものを絶対視し過ぎているがゆえに、
「適応」というものを「成長」と勘違いしてしまうのです。
簡単に言うと適応とは、
「みんなが正しいと言っていることに合わせる。」
ということです。
それに対して成長は、
「自分の正しさを追求し変化していく。」
ということです。
どっちが良いかは人それぞれだとは思いますが、
リーダーとなれる素質を持っているのは
間違いなく後者のほうでしょう。
後悔のない、
自分らしく自分の生きたい人生を生きられるのも
間違いなく後者です。
ただ、自分の正しさを追求していくというのは、
これは大変なことです。
だって元々答えが無いんだから。
膨大な数の自分への問いかけ、対話。
それをアウトプットした時のフィードバック。
そこから導かれる新しい問い・・・
これがずーっと続くことになります。
逆に言うとずーっと変化し続けられて
ずーっと楽しいということです。
そうやってどんどん自分の正しさも明確になり、
強い信念、生き方、時代を形作る世界観になっていきます。
他人や環境に主導権を握られたいか。
自分の手に主導権を握っていたいか。
他人や環境の部品として生きるか。
自分の人生を生きるか。
ぼくは後者のほうが絶対いいと思うんですよね。
あなたはどうですか?
・・・
さて、まとめます。
要するに「我慢」が意味を持つかどうかは
「主体的」であるか「客体的」であるかに依存するということです。
必要な我慢は
自分を中心においた上での、主体的な我慢。
必要でない我慢は
自分の外の世界を基準とした、客体的な我慢。
ということになります。
これはあくまでも”僕が”必要だと思っている、
あるいは必要でないと思っている条件です。
ただ1つ言えることは、
これからの世の中、
主体的でない人間はどんどん生きづらくなっていく。
ということです。
自分の外に答えを求める生き方はこれからの時代、
早い流れに翻弄され、多様化の波に飲まれ、
真っ先に搾取される対象となってしまいます。
それが嫌なら今すぐ
主体的に生きると決断しましょう。
PS:感想をください。
あなたが経済的、精神的に独立し
自由に自分の生きたい人生を生きるためのサポートをするのが
僕の役目だと思っています。
あなたが自分の人生を生きる決意ができたなら
その第一歩として僕にメールを送り、
あなた自信の主体的な考えを聞かせて欲しいです。
⇒メールはこちらから
一緒にあなたの道を作って行きましょう。